醍庵極楽寺の宿縁
醍庵極楽寺は空海が唐(現在の中国)の青龍寺で恵果和尚から伝授された正統な真言密教(加持・祈祷を重じる教え)の奥義とされる秘法護摩供を根本意『救民済度(仏道によって人々を救う)』を実践している真言宗の小さな草庵ですが、今も『極楽寺跡』に残されている『石清水八幡宮遷座(せんざ)』伝説を再現して、江戸中期頃まで存在していたろう『極楽寺・大安寺』の神仏及び仙台の住職や僧侶の御霊を祭祀(さいし)し、二世に引き継いでいく宿縁を任っています。
石清水八幡宮遷座伝説極楽寺は、平安時代初期の貞観元年(八五九年)釋行教上人が開基した、歴史上及び仏史上において非常に由緒ある寺であります。
釋行教は、当時国寺として政治の中枢を担っていた奈良大安寺の住職でしたが、皇室の安泰及び国家鎮護祈願の為に宇佐八幡大神霊の勧請地を選定するよう清和天皇から勅命を受け、宇佐八幡宮に一夏九旬(百日間)参籠して八幡大菩薩の神託(啓示)を拝受し、天皇に勧請の地が筑前宇美であると奉上しました。
しかし、すでに筑前宇美には宇美八幡宮が奉祀されていた為、建立できず従って八幡大神霊を祀る八幡本宮としての寺(号は本山に倣い大安寺)と、八幡大神霊を守護する為の本地仏を祀った寺(号は本山と同派の極楽寺)の二寺を、昨今類を見ない貴重な神仏合祀の寺として建立したのです。
極楽寺跡の謎現在の観音堂の後の山頂あたりに近年まで存在していた、いくつもの経塚も、すっかり盗窟されてしまい、極楽寺の謎を解く手がかりは無くなりましたが、文永十一年(1274年)博多が蒙古(もうこ)軍に襲来された(「文永の役」)の時、筥崎宮(はこざきぐう)の御神躰が戦渦をを逃れる為、この地に暫時(ざんじ)遷移(せんい)されており、現在は「箱崎神社」として祀られています。
このご縁で、毎年1日だけ縁日が開かれ、筥崎宮の巫女による舞が奉納されている伝承ゆかりの地であります。また、極楽寺は元来本山である大安寺に倣い、学問の道場として近世まで寺運(じうん)栄えていたと思われますが、現在は残念ながら、江戸時代中頃に博多の彫師が奉納した二躰の木造観音像を奉る観音堂と筥崎八幡神霊の分霊を祀る八幡堂がわびしくたたずんでいるのみです。
醍庵極楽寺の宿命は、このたたずまいを1日も早く再興する事にありますが、未だ、財源、物資面に困窮し苦難の途にあり、現在なお心ある方々にご援助を賜りたくお願いしているのが実情です。
境内の石仏
手前の堂宇は筥崎八幡神を祀る
奥の堂宇は、極楽寺本尊十一面観音及び聖観音を祀る
八幡宮観音寺 境内改修記念碑
